軽い気持ちでお付き合いは怪我の元
きっかけはバドミントンクラブで出会いました。バドミントンは学生の頃からやっていて経験はありました。社会人になっても休日に楽しみたいと思って入りました。
私は社会人なりたての1年目の22歳で、相手は1歳上でした。
社会人なりたてでバドミントンクラブも入りたてで、どこか落ち着かない気持ちがありました。この環境に早く慣れたい、周りの人にも溶け込みたい、また、仕事もして趣味もして恋愛して恋人のいる充実生活を送りたい、そんな焦りがあったと思います。
若気の至りもあって、あれもこれもまずは形を望んだのが失敗でした。
相手の人は格好いい顔立ちではありませんし、オシャレでもありませんでした。学生の頃までの恋愛で本当に好きになったケースというのは、相手の顔立ちに惚れて片思いでした。それまでおつきあいしてきた相手もいたのですが、片思いの相手ではありませんでした。恋と呼べるほどではなく、何となく気が合ってちょっと好きになったくらいでおつきあいしていました。
社会人になってからの恋愛の失敗の予兆は、学生時代にすでに現れていたのです。顔立ちに惚れて好きになることは自然としなくなり、気持ちとしてはおつきあいに発展しやすい素朴な人に流れるようになっていました。
バドミントンクラブで出会った相手も素朴な雰囲気で穏やかな人でした。素朴で穏やかなのは素敵な要素ですが、その反面、恋愛や女性の気持ちに疎い人でした。そこに気づかなかったのも失敗でした。
バドミントンの後にみんなで食事に行くことがよくありました。車を持っている人にみんなで乗せてもらって行っていました。その相手の人も車を持っていました。
誰が誰の車に乗るのかは何も決まり事はなく、何となくの流れで自然に何台かに分かれて乗っていくのですが、偶然にもその相手の人の車に乗ることが続きました。
車内ではみんなお喋りしますから、一時的に親密になります。何度も乗せてもらっているうちに、私はその素朴な人柄に好感を持ち、その相手の人の車に積極的に乗っていました。この辺りが恋のようなものの始まりだったかなと思います。
そのうちに、みんなで食事に行く流れにならなかった日でも、その相手の人と私の二人で食事に行くようになりました。
しばらくするうちに、
相手の人から「俺とつきあってくれる?」と言われて、私はもちろんOK しました。片思いして一方的に恋して告白しても、おつきあいに発展したことはなかったので、相手との流れが大事と思うようになっていました。
これといった決め手もないまま、雰囲気や相性、流れが大事と思ううちに本当に流されておつきあいを始めたことは、今から思うと失敗でした。
いくつもあった彼氏の違和感ある行動
バドミントンのあとの食事の他にバドミントンの大会会場まで毎回車に乗せてもらっているうちに、周りから「つきあってるの?」と訊かれるようになりました。
まだ若かったこともあって、恋人がいる状態に浮かれていました。周りから冷やかされることを喜んでいました。恋人がいる優越感のようなものも少しあり、そんな見栄を張り続けたのが失敗でした。
もう何年も前のことですからはっきり言えますが、彼氏を人として男性として好きというよりは、おつきあいした理由はおつきあいできそうな人がちょうど近くにいたからでした。
彼氏にしてみても、今まで女性とおつきあいしたことがなかったところを、よくなついてくる女の子がちょうどいたといった感じでした。
お互いに恋愛ごっこのようなものでした。お互いにとりあえずおつきあいしていました。彼氏が私のことを本当に好きじゃないのは初めから何となくわかっていました。
まず、食事は決まったファミレスの2~3軒を回ってばかりでした。
デートでファミレスは嫌がる女性も多いと言うのに、新しいレストランを調べて新しい楽しみを見つけるような努力する気持ちはないんだなと思っていました。
この時点でもう身を退けばよかったのに、周りから「もう別れたの?」と思われたら気まずいので、ダラダラおつきあいを続けてしまったのが失敗でした。何かの団体やグループの中でおつきあいすると、自分の直感やタイミングだけで動けません。まだ若かったこともあって、周りからどう思われるか、それにも捕らわれてしまったのが失敗でした。
バドミントンの大会では、彼女の私の応援はありませんでした。試合の前に励ましてくれることはなく、勝って褒めてくれることはなく、負けて慰めてくれることもありませんでした。
私の方が良い成績を残すと「俺より勝ち上がったか・・・」なんて、自分の体裁だけを気にしているようでした。
私は恋愛らしいことをしたかったのもあり、バドミントンのない日は毎日夜は夕食を手作りして、自分のアパートの部屋に彼氏を招きました。料理を褒めてくれることはなく、喜ぶ素振りは全く見せずに淡々と食べたり、
「こんなにいらない」とつぶやくだけでした。
私の部屋に来ても、テレビを見てちょっとお喋りするだけでした。その間、話が弾む雰囲気は全くありませんでした。二人で過ごすことを楽しんでいる様子は感じられませんでした。
「私のことが好きなわけではないんだな」
と決定づけたのは、私のアパートの部屋に来る時にテレビゲーム一式を持ってくるようになったことです。
「ここに来ても暇だから」と私の部屋に来て黙々とゲームをするようになりました。別れた方がいい予兆がこんなにありながら、周りの目を気にしておつきあいを続けてしまったのが失敗でした。
そんな過ごし方しか出来ないにもかかわらず、体だけは求めてきました。
ここでまた流されて、納得できない気持ちがあるものの嫌々ながら断って気まずくなるのを恐れて、体を許していたのは私の一番の失敗です。
簡単な女だと思われていたかもしれないと思うと、
「記憶から消し去れたらいいのに」と思います。
虚しい恋愛ごっこの終わり。新しい本当の恋愛へ。
あまりに私が夕食に招くから彼氏はおつきあいが面倒になってきたみたいでした。無表情か不機嫌な様子か、会えばそのどちらかでした。
私自身、自分からおつきあいをきっぱり辞めたことがなかったので、こんな時でもまだ流されて恋愛ごっこを続けていました。自分から切り出せない弱さも失敗の要因でした。
彼氏とのおつきあいはほんの4ヶ月弱でした。
私のことが本当に好きなわけではないんだなとすでに思い始めたのは、おつきあいを始めてたった1ヶ月の頃のことでした。
その頃から、彼氏の話に度々登場する女性がいました。同じクラブの彼氏と同じ年の女性でした。この女性はマイペースで天然ボケなところがあり、同じ年齢の女性たちからは嫌われていました。嫌われていると言ってもその女性に非はなく、他の女性たちがおもしろ半分にキツい対応を取ったりして、その様子をバカにしたり都合のいいターゲットのようでした。
私はその女性が好きでした(人としてです)。親切で冷静で優しくて、誰かの文句を言ったりしない人でした。その女性は同じクラブの2歳年上の男性とおつきあいしていました。けれど、相手男性とは別れる寸前のような状況であまり上手くいってないようでした。
彼氏はその女性が好きなようでした。
他の女性たちには少し緊張気味に接するのに、その女性には嬉しそうに接していたからです。
彼氏が私の部屋で黙々と夕食を食べ、黙々とゲームをして、体だけは求めるような重苦しい日が3ヶ月続いた頃に彼氏に電話をしても音信不通になりました。クラブもたまたま施設の都合でお休み期間でした。
音信不通が3日続いて、おつきあいはもう辞める時だと思いました。彼氏から
「話があるから今日部屋に行く」と電話がありました。
部屋に来ると、
「本当は○○さんが好きなんだ」と話してくれました。
「夕食を作られることも多くて、その気持ちが重かった。もっと自由にいさせてほしかった。」とも打ち明けられました。
何となくおつきあいしていただけなのに、
「自分は本当には好かれていない」という自分勝手な寂しさだけはありました。
好かれていない寂しさと、恋愛ごっこが終わる悲しさと、この虚しい関係が終わるホッとした気持ち、これらが入り混ざって私は泣けてきました。静かに泣きながら、あっさりと別れを受け入れました。
そのあと、自分でもわからないのですが、なぜか彼氏への思いを引きずりました。私も彼氏のどこに惹かれていたわけではないのに、彼を失ったことは生きる気力さえも奪いました。恋愛感情はなくても、彼への情だけはあったのかもしれません。
あの女性が彼氏のことを好きではないのは、私は同じ女性としての勘でわかっていました。
「もしかしたら復縁できるかも。そしたら毎日夕食を作るような失敗はしない、違和感を感じる彼の行動にも黙っているような失敗はしないぞ」
なんて思いながら半年は引きずりました。
新しい春が来て温かい季節が来る頃に、私の気持ちも前向きになり、私が一目惚れした男性とおつきあいすることになり新しい恋愛が始まりました。
私は結局は一目惚れしないと本当には好きになれない、その恋愛を長続きさせるように真摯になれないタイプのようでした。
雰囲気に流され、恋愛ごっこを目指し、別れの予兆からも目をそらし、自分から切り出す勇気もなかった、私は自分で自分を傷つけたようなものです。
これらの失敗を教訓に、次の恋愛ではとても楽しく充実したものになりました。