渡せなかったバレンタインでの手編みセーター、ずっと片思いのまま終わった失敗の恋愛

毛糸

毛糸

 

 

再開は突然に

彼と私の出会いは、高校の入学式でした。私は真面目な高校生、彼は見るからに悪い高校生でした。

 

クラスも違うし、話すこともないだろうと安心していました。音楽は、履修科目になっていて、他のクラスと一緒に授業を受けるのですが、そこに見るからに悪い高校生がいました。

 

彼の名前はM君、一週間に3回くらいある音楽の授業、私は妙な緊張感に包まれていました。

 

 

案の定、彼と彼の友人は、一番後ろの席に座り、いつも先生に名だしで注意されていました。
特に話することはなかったけれど、お互い顔見知りになりました。

 

 

初めての夏休み、補講が始まりました。結構自習の多い補講で、みんな帰ったり遊びに行ったりしていました。

 

 

私の友人も、お好み焼きを食べに行こうと、お好み焼気を食べに行きました。偶然にも、お好み焼き屋さんにもいましたM君グループ、タバコも吸っていて、私のまわりの環境とはえらい違いました。

 

M君も、私たち真面目なグループが気になるようで、時々ちらちら見ているようでした。

 

夏休み終わるとM君の情報が入ってきました。直接話をしたことはなかったけど、目立つ存在だったので、噂はよく耳にしていました。M君は謹慎になりました。退学になるかもしれないとのことでした。

 

見かけ、ある意味納得のいく行動でした。

 

二学期もしばらくした時、部活で体育館にいた時に彼を見かけました。
M君は○○先生どこにいてる?補講受けなあかん。と、この時がM君と初めて話をしました。それからM君は、体育館に時々現れてきました。

 

高校二年は履修科目が変わり、クラスも変わり、一緒に学ぶことはなくなりました。しかし、下駄箱とかで会えば、どちらがともなく挨拶くらいはするようになりました。文化祭で一人でアカペラでアイドルの歌を堂々と歌っているのには、感心しました。

 

高校3年生の時は、お互い進学や就職活動であまり合わなくなりました。卒業式の時に全体の記念写真を撮る時に近くにいました。彼とは特に恋愛関係はありませんでした。

 

20歳の時、住み込み先の近所の最寄りの会合で彼に再開しました。その時に私の恋愛心にスイッチが入り、彼に初めて電話をかけました。彼は私の名前すらすっかり忘れていました。名前と顔を思い出してもらうまでに5分くらいかかりました。

 

 

もう彼にすっかり心を奪われていました。運命なのかもとも思いました。学生時代にもっと交流しておけば良かった、勇気を出して話をしておけば良かったと思うのが私の一つ目の失敗です。

 

 

バレンタイン、渡せなかった手編みのセーター

M君と再会して1年は、彼の住む近くで住み込みで働いていました。しかし、私の次の就職先が大阪に決まり、M君と離れてしまう事が決定しました。

 

 

寂しかったです。M君と離れたところで生活するのは、心にぽっかり穴があきました。せっかく好きな人に巡り合えたのに、どうしてこういう運命なんだろうと自分を恨みました。

 

そもそも、私が大阪で働きたいという話を、M君に知り合う前に母親に話していたら、母が大阪での面接を決めてきたのです。知り合いの親せきにわざわざ頼んで探してもらったというのです。

 

私は、行かないといいました。

 

すると母は、私が大阪行きたいと言ったからわざわざ探してもらったみたいな、恩着せがましい発言をしました。

 

お母さん、お願いですから、探す前に私の意見を聞いてください。

 

母の暴走はこれだけではないのですが、それはまた別の話です。
とりあえず、面接だけでも行ってきなさいとのことで、しぶしぶ大阪へ面接に行ってきました。

 

私は看護師、看護師はどこの病院も足りていないところ多いですから面接に行ったら、もう私の就職が決定しているかのような面接でした。

 

当時、働いていた病院は産婦人科、看護師なら包帯の巻ける看護師になりたいと思っていた私にとっては、ある意味理想の病院でした。

 

それに、地元での就職が決まっていたわけでもありません。採用決定された時には、喜んでいる自分がいました。

 

M君に対しては、再開してから私から時々電話をかけてよく話をしていました。M君は、私からの電話をいつも快く受けてくれました。また優しい言葉で、私を包み込んでくれました。

 

大阪に行く前にバレンタインがあるので、彼のためにとせっせせっせと手編みのセーターを編み始めました。

 

彼の事を思い、セーターを編んでいる時は、本当に幸せな時間でした。恋をするって本当に素敵と実感しました。恋愛って素晴らしいとも思いました。

 

 

初めてのセーターが、ほとんど編みあがった頃、テレビの情報番組で、男性が一番もらって困るもの、手編みのセーターが一番でした。

 

もっと早く知りたかったです。

 

 

編みあがったセーターを見て、編目はバラバラ、ゆがんでるし、M君はお洒落だしなど考えると、とても彼に渡す気にはなれませんでした。失敗作にしかみえません。

 

結局、友人の勧めもあり、ネクタイを買って渡すことにしました。貴方に首ったけという意味がネクタイにはあるそうです。

 

 

M君はネクタイを喜んでくれましたが、せっせせっせと編んだセーターは、たんすのこやしになりました。

 

 

思い続けた遠距離片思い

3月のM君の誕生日イベントを終え、私は泣く泣くとりあえず大阪で就職しました。私の気持ちも最大の盛り上がりを見せているのに、人生って思うようにはいかないものです。

 

 

いつでも帰ってやろう、3か月くらいしたら辞めてやろう、そんな気持ちでした。
正直寂しかったです。

 

 

しかし離れた場所で、M君への思いが試されているんだと思いました。寮生活に入り、仕事が始まりました。手術室に配属され、勤務は日勤ばかりでした。

 

 

高校生を卒業して、すぐに勤労学生になり、不規則勤務の3年間でしたので、遊んだという実感のない3年間でした。

 

今は大阪、遊ぶ場所が沢山あります。大好きなコンサートやライブ・夜には飲み屋で大騒ぎ、ある意味楽しい事も多い大阪での生活でした。

 

 

大阪で友人もできました。本当に楽しい半年間でしたが、私に進学の話をしてくれる人がいました。大阪で進学すれば、後何年か帰れない事が決定しています。進学する気はなかったけれど、周りがかなり熱心に勧めていただいたので受験することにしました。

 

勿論、田舎にいるM君には大阪での生活を時々電話で報告していました。進学を決めた時に連絡したら、M君も私の進学を思ってくれていたというのが解りました。

 

M君も応援してくれるなら勇気100倍です。受験勉強頑張りました。看護学校は2校のみ受験し、1校は不合格、もう1校は補欠合格でしたが、合格ラインに引っ掛かり、なんとか合格を勝ち取りました。

 

今思えば、田舎の学校の受験もできたはずなのに、なんで受験しなかったんだろうと後悔しました。田舎の学校に合格していれば帰る事が出来たのに、当時は大阪での受験しか考えられませんでした。

 

実際に進学を勧めてくれた先輩も、応援してくれた友人もその時は大阪にいました。田舎で受験するなら、勤務する病院から探さないといけませんでした。そういう事を深く考えた事もなく、人生流れるままにといった浅はかな私が恋愛を成就できるわけありません。

 

こんな私でも、彼への電話はかけ続けましたが、大阪に行って4年目の冬頃、電話がぎくしゃくしてきて、とうとうM君に彼女が出来ました。数年に及ぶ私の片思いが、とうとう終わってしまいました。

 

毎年バレンタインも送りました。田舎に帰った時には、家にももっていきました。M君が入院した時は、お見舞いも行きました。夏まつりには、たこ焼き持って行きました。

 

私、結構頑張ったのに、彼にはとうとう私の気持ちは通じただろうけど、お付き合いするには至りませんでした。

 

こうして数年にわたっての私の片思いは、成就することはありませんでした。田舎での受験をしなかったのが失敗の原因でしょうか。

 

手編みのセーターは、一度は着ておこうと最寄りの会合に着て行って捨てました。偶然その会合で写真をとってくれたので、思い出としてアルバムに残っています。

 

52歳 フリーランスの恋愛の失敗体験談より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です