ワルそうだけど、紳士な対応にときめいて
恋愛経験もほとんどなかった中学生の頃、教室の窓ぎわ一番うしろの席にアイツはいた。
毎月席替えをするにもかかわらずなぜかいつも外の見える席にいて、授業中に紙飛行機を飛ばしているアイツを、ワタシはちょっと感じ悪いな、と思っていた。
水泳の授業の日。
ワタシはその日、異常な眠気に襲われていて朝から机に突っ伏していた。昼一番の水泳の授業で昼休みに更衣室へ行って、みんなで着替えていた。
水泳は女子にとってはメイクを落とすかどうかとか、いろいろと悩みが多い。ワタシは大したメイクもしてなかったけど、眉毛はウォータープルーフのものを使っていた。
授業が始まり準備体操をする。
男子とは対岸で体操をして、プールサイドを軽く二周走って準備が終わる。それから男女3コースずつを使って授業が始まった。
ワタシは本当に体がだるくて、あまり泳げるほうでもなかったので、できない子たちの列にまじってビート板を使ってバタ足をしていた。
それは一番内側のレーンで、隣のレーンを使っていたのはめちゃくちゃ水泳が得意な男子だった。
いかついゴーグルに水泳キャップからはみ出た茶髪。アイツは今日も独自のスタイルで授業を受けていた。
ワタシは列に並びながらなんとなくアイツの泳ぎを見ていた。アイツは意外にも水泳が得意らしく、一番内側のコースを、なんの迷いもなく、魚のように泳いでいく。
へえ、やるじゃん、なんて思っていた。
教室ではぼんやりと外を眺めているか寝ているかで、あまり群れない。そのわりに交友関係は広く、誰とでもフラットにつきあっている。でもたまに聞く噂では、ものすごいギャルとつきあっているとか、変な団体との関わりがあるとか、喧嘩をして先輩を殴ったとか、そういう話も絶えなかった。
そうこうしているうちにワタシの番が来て、鈍い体を引きずるようにしてビート板にしがみついていた。
アイツの姿が向こう岸に見える。アイツはからかうようにワタシを見ていた。ワタシのコースの上でしゃがみこみ、ばかにするようにワタシを見ている……。
なんで。見られていると思うと緊張して体がこわばり、息継ぎに失敗して、げほげほ言いながら対岸に着き、プールサイドにあがった瞬間、ぬるりとした感触が股間を伝った。
あ、と思ったときには遅くて、プールの水に混じって、血が太ももを伝っていった。
ワタシはその場に崩れ落ち、股間を隠した。
アイツが駆け寄ってきて、ワタシは来ないで、と短く制止した。
事情を察したのか、アイツはワタシの耳元で、タオル持ってきてやるからもっかい中に入れ、と言った。
結局ワタシはその場にうずくまったままで、先生が慌ててやってきたけど、その前にアイツはタオルをワタシにかけて、見えないように隠してくれた。
そのとき、撃ち落とされたような感じがして、一気に心を奪われた。
決戦!初めての本命チョコ
恋愛経験のなかったワタシは、本命チョコというものをだれかに渡したことすらなかった。
バレンタインは両親と友チョコのためにあるとばかり思っていた。だから、とても緊張していた。
あれからアイツとはつかず離れずで、でもワタシはずっと心を寄せていた。相変わらず変な噂が絶えなかったが、それでもあのときのアイツの対処は完璧で、乙女心をぶち抜くにはあまりあった。
それ以降、あの件に関してからかうでもなく触れることすらしなかった。本命チョコ、というと恥ずかしくて死にそうだったから、あのときのお礼に、という大義名分を自分に与えて、なんとか平常心を保っていた。
毎年なにかしら作っているので、お菓子作りには抵抗がなかった。フォンダンショコラでも作ってみよう、と材料を買いに言って、そこでなんと、アイツに出会ってしまった。
せまい校区内でのこと、もちろんありうる話だけど、まさかこのタイミングでばったりすると思わず、うろたえた。
アイツもワタシに気づき、おう、かいもん?と聞いてきた。
うん。◯◯も?と聞くと、まあな、とまだ空の買い物かごを持っている。
お互いなんとなく気まずくなり、じゃあ、と声をかけて別れた。別れたといってもその後、店内をぐるぐるしているといつ会うかわからず、棚と棚のあいだに隠れるようにして買いものを済ませた。
それとなく好みを聞けばよかった、とレジを通しながら思った。もしかしたらチョコなんて好きじゃないかもしれない。失敗したかなあ……と早くも挫折感を味わいながらも、いやいやチョコぐらい食べるでしょ!というか食べなくてももらったら嬉しいじゃん!と気を取り直して家路に着いた。
フォンダンショコラは見事な出来だった。先に両親に毒味させ、自分も食べて納得して、ラッピングをした。あまりハートの入ったようなものは恥ずかしくて買えず、すこしシックな、白黒の袋にした。
いつも学ランの中に着ているシャツも黒だったから、モノクロが好きなのかなあ、と勝手にリサーチしていたのだ。
ドキドキしながら当日を迎える。どういうシチュエーションで渡せば自然だろう。あのときのお礼に!といってそれで終わりにするべきか、もっと告白チックな雰囲気づくりをするべきか。
でもそもそもワタシ、アイツとつきあいたいのか?うーん、でも好きかも。ともやもやしながらも、アイツの席に近づいていく。
あのさ、と声をかけて、アイツがこっちを振りむく。
今日もアイツは窓ぎわにいて、窓から外をながめていた。
アイツは、ん?と物憂げに言って、ほらそこ、と外を指差す。猫がいるだろ。あいつここで生まれたんだ。
ワタシはもうなんて切り返せばいいかわからなくてあわあわした。そして、もうどうにでもなれという気もちになって、そしてアイツのそのやけにアンニュイな感じにまたしてもやられてしまって、今日さ、一緒に帰りたいんだけど、と密やかに言った。
アイツは一瞬目を見開いて、別にいいけど、と呟いた。
公園で渡すつもりだったフォンダンショコラが
なんとなく気まずいままの帰り道。方向は一緒だから不自然ではなかった。ただ、下校路には人が多すぎて、どうしても人目につく。ワタシは、ちょっと公園寄ろうよ、と脇道にそれた。アイツは無言で着いてきた。
公園には犬の散歩をしている人や、ジョギング中の人がまばらにいたけど、知りあいはだれもいなかった。ワタシは歩をゆるめて、あのさ、と切り出した。
夏にさ、水泳の授業のとき、ワタシやらかしちゃったじゃん。あのときさ、◯◯がバスタオル渡してくれて、めっちゃ嬉しかったんだよね。なんか恥ずかしくて話できなかったんだけど、あのときありがとう。
アイツは、ああ、と微妙な返事をして、それっきり黙ってしまった。
ワタシはそのあとなんていえばいいかわからなくて、困りながらカバンを探った。そして愕然とした。
あんなに大事に持ってきたはずのフォンダンショコラが、筆箱の下敷きになって潰れていた。固まっているワタシにアイツが、またなんかやらかしたの?と言った。
ワタシはパニック状態に陥って、涙が出てきてしまった。アイツはまた目を大きく開いて、それからワタシをベンチに座らせてくれた。
ごめん……。お礼にと思って、今日バレンタインだし、お菓子作ってきたんだけど。これ。と言って潰れたフォンダンショコラを取りだす。最悪の失敗だった。くしゃくしゃになった生地からチョコが溢れ出ている。
アイツはそのゴミみたいなフォンダンショコラを手に、笑いだした。
お前さあ、ドジだよな。
アイツはそう言って笑いながら、その場で袋を開け、口の周りにいっぱいチョコをつけながらフォンダンショコラを食べ、公園のゴミ箱に袋を捨てた。
戻ってきたアイツは自販機で買ってきた缶コーヒーを開けて、いる?と聞いた。。
ワタシが一口飲んだあと、アイツはそれを受け取って飲んだ。まだいる?と聞いてくる。ワタシは緊張しながらそれを何度ももらった。
ワタシが玉砕したことを肌で感じながらも、アイツの態度によくわからない部分があって、困惑していた。
するとアイツが、こないだスーパーで会ったよな。と言った。
あのときな、実は俺も買いものしててさ。
と、カバンの中からチョコを出してきた。
なんかお前さあ、ほっとけないんだよな。
アイツはそう言ってワタシにチョコをくれた。
え、これって?
というとアイツは困ったように笑って、
いやさ、俺も別に、恋愛とかそういうのがしたいかって言われるとわかんないから。でも、なんかお前に渡したかったから。だから誘ってくれてよかった。ありがと。
アイツはそう言って立ちあがった。その公園はちょうど岐路になっていて、ワタシたちは別れた。
翌日、学校に行くとアイツはまた窓ぎわで外をながめていた。結局それ以上、アイツとの仲は進展しなかったし、アイツにはまた新たな彼女の噂が出始めて、ワタシも別の人から告白を受けたりしているうちに、なんとなく疎遠になってしまった。
潰れたフォンダンショコラとおぼつかない告白だった初めての本命チョコは、春の訪れとともに幕を閉じた。
25歳 フリーターの失敗した戀愛体験談より